東京と京都の上京に対する意識

一般的に上京といいますと、地方在住者が進学や就職などで東京に引っ越しすことをさします。

そこには上京者の数だけ「夢を叶える、スキルアップ」のためなどの目的や憧れも多分にあり、また同じ数だけの不安や心配もあります。

そして受け入れる側の東京在住者と上京者との様々な温度差の違いにも最初は戸惑うことと思います。

東京は一極集中と言われているように全国46道府県から上京者が集まる都市です。

そんな中でも、東京在住者が別格の上京者として扱ってしまう地方があります。

それが京都府からの上京者です。

東京と京都の上京に対する意識

実は東京への引越しだけが上京といわず、京都へ行くことも上京といいます。

正確には「じょうきょう」と読まずに「かみぎょう」と読みます(発音します)

その由来は、西暦794年に日本の首都になった平安京を基礎とする都市が現在の京都で、その後約1000年に渡り明治天皇が東京に行幸するまで、天皇家および公家が集住したためです。

つまりその時代の人々は京都に上ることを上京といい、京都を去ることを下京(もしくは都落ち)と言っていたのです。

京都出身者は東京へ上京するとは言いません

そういった京都府の昔からの言い伝えや風習が意識としてそのまま残り、現代でも京都府出身者が東京へ引っ越すことを「上京する」と言わない人が多いです。

普通に「東京に引っ越す」と言います。

また東京在住者も京都以外の地方からの上京者を、県名よりむしろ地方名(宮城県や山形、秋田県は東北からの出身者)と一緒くたにする意識があるにも関わらず、京都府だけは別格に位置づけているところがあります。

都民の京都からの上京者を別格とする意識

特に都民が京都府民に好意的だということはないのですが、都民の意識として「京都は良いところ=育ちの良い」ところだという潜在意識があると思います。

だから他の地方出身者とは一味違う「上京者」として京都府出身者を見てると思います。

経済的にも人工的にも、近代都市としての役割も東京のほうが断トツに活性化しているにも関わらず、京都府を一味違う(気持ちの面では同等)としてしまう意識として、その理には、話す言葉(方言)大学設置のこの2つが大きいと思います。

他にも東京の修学旅行は京都に行くという刷り込みがあるかもしれませんが。

都民意識として京都の方言の耳障りのよさがある

地方在住者の上京不安の理由に「言葉、方言」というものがあります。

方言やアクセントの違いによって田舎者扱いされないかという心配や、方言により人間関係がうまく築けない不安も抱くと思います。

事実、上京して何年も東京で暮らしながらアクセントが田舎混じりであると「不器用な人」と意識(認識)してしまいがち、京都の方言に関してはとても寛容でむしろ耳障りの良さを感じてしまう不思議感があります。

特に女性に対しては、京都の伝統の「芸妓や舞子」を彷彿させることも、耳障りの良さとなっているように感じます。

最高学府の大学の設置

都民は日常生活で、東大(東京大学)が東京に設置されていることを特に気にするわけではないですが、何かがあると卒業生でも身内にOBが皆無にも関わらず東大が設置されていることを自慢として意識するところがあります。

それに対する大学が、唯一京都大学と思っているフシがあります。

事実、学力的には最高学府の2校ですので、そういうフシがあってもおかしくはないのですが、京都大学生を「地理的に東京が遠いから京都大学に進学した人」と見る向きがあります。

つまり関東近県に住んでいれば、間違いなく東大に入学したはずだという意識があります。

この方言と、東西で最高学府が設置がされている面が、東京都民が京都府民を意識的に同じ「上京者」の中でも別格とする所以だと感じています。

東京と京都の上京に対する意識(まとめ)

京都府民は、上京(いわゆる東京への上京)を、単に東京への引越しという人が多い理由は、かつて京都へ行くことが上京(かみぎょう)と言われていたためで、また何気ない意識として東京在住者も京都府からの上京者を、他の地方出身者とは別格の意識をもって接するように思います。

その理由として、都民にとって京都の方言が心地よく耳障りよく聞こえることや、東西の最高学府大学が設置されている点など潜在意識としてあるためだと思います。