2度の上京で感じた東京暮らしの一番の不安

私は元々の生まれが地方で、小学校の入学と同時に親の仕事の関係で、家や土地を売り払い家族全員で上京することになりました。

住んだのは東京都豊島区池袋、立教大学のある土地柄です。

今でこそ池袋は新宿、渋谷に並ぶターミナル駅として東京で最も人の出入りの多いところですが、当時は駅の東口に西武百貨店、西口に東武百貨店と分かりやすい場所でした。

サンシャイン60が開業してまもなくの頃です。

2度の上京で感じた東京暮らしの一番の不安|最初の上京

東京での家族全員での上京生活にも慣れ、いつしか子供心に抱いていた「上京してきた」という気持ちも薄れ、友達もたくさんできました。

私にとって最初の上京は、家族4人で狭いアパートに住むという環境的にはあまり良くないところでしたが、近所の児童館で遊んだり今は地図からも消えた池袋にある小さな公園で同級生と遊ぶことも楽しみのひとつでした。

私にとって最初の上京は良い事ばかりの暮らしになりつつあり、私自身もこの先も東京で暮らしていくのだと思い始めていました。

そして中学校の卒業と同時に、また親の仕事の都合で地方に引っ越すことになりました

今度は日本列島本州の最北端の青森県でした。

私は、地図を見ながら「随分と遠い所へ行くんだな」と思い、友達との別れも寂しかったのですが、それ以上にその地図の距離が不安になりました。

いよいよ東京を離れるという数日前には、居ても立ってもいられない気持ちになり、上京して育った池袋界隈を思い出と一緒に目に焼き付けておこうと、これが見納めとばかりに散策しました。

それぐらい私には、青森県が遠い所に思えたのです。

新学期が始まり、私は地方(青森県)の高校に進学します

もちろん友達はいません。

最初に地方から上京した時は、小学生という子供でしたので、同級生お互いが仲良しモードでしたが、今回の転校は多感な時期だっただけになかなか人間関係を築くことができませんでした。

それでも私はクラスや学年では目立つ存在だったようです。

特に勉強ができるわけではなく、背が高く美人でもない私が目立った理由はただひとつ「標準語を喋る」という理由でした。

その標準語が、時に友人関係の障害となることもありました。

最初の2年ほどは津軽弁の理解も難しく、話すことにも抵抗があり「気取っている」と思われることもありましたが、徐々に津軽弁が耳慣れしてきて標準語のアクセントから変化していきました。

それと同時に、クラスメートとの関係も良くなり、ようやく青森の高校生活もそれなりのものとなり、いつしか同級生の目も「気取っている」から「東京から来た普通の子」となり、逆に憧れの目で見られるようになりました。

2度目の上京は地方の就職難という理由です

私は親の引越しによる転校で寂しい思いをしたことから、早く働いて自立したいという気持ちがあり、大学進学を諦めました。

当時の時代の傾向もあると思いますが同級生も大学進学をする人は少なく、そもそも地元の青森県には大学の数が少ないため、家業の農家や酪農、果樹園を継ぐ人や、そこに嫁ぐ人がクラスの半分以上という状況でした。

そして地元で就職するとなりますと、縁故関係でお役所や農協に就職できればエリートコースでした(そういう時代でした)

そんな状況で、東京から地方に来て3年目の私は地元に良い就職先を見つけることができずにいました

そんな折に、見つけたのが学校に貼りだされた「上京者向けの新卒者求人情報」でした。

地方で就職難であった私は、その新卒者求人情報を食い入るように見ました。

もちろんこれまでの暮らしの中では「東京での暮らし」が一番長いですので、私はその新卒者求人票の勤務地を見れば、そこに勤めれば「どんな上京生活」になるかというイメージができました。

なので必然的に、探す求人票も青森に引っ越して来る以前に上京した最初の土地の東京都池袋周辺を探しました。

そうして私は、東京勤務の中堅のスーパーに就職しました。

社会人としての2度目の上京

高校を卒業した私は、青森から東京へ就職のために2度目の上京を果たします。

初めての東京暮らしではありませんでしたので、不安はありませんでした。

高校の同級生と離れることに、若干の寂しさはありましたが、その同級生たちも上京志向が強くありましたので、むしろ「東京から来た子」が「東京に戻る」といった自然な成り行きののように、自分自身でも思っていました。

友達を離れると寂しさの気持ちよりも、これから上京してちゃんと暮らしていこうという気持ちのほうが勝っていました。

上京して初めて味わうホームシックが一番の不安となりました

職種はスーパーのレジ業務でした。

勤務先のスーパーに近い場所に会社の借り上げ寮があり、お給料は10万円そこそこでしたが、生活に困ることもなく月々の足りない分はボーナスで補うという形で、ごくごく普通の暮らしをしていました。

ところが一番、慣れているはずの東京暮らしなのですが、この2度目の上京生活では大きな落とし穴がありました。

それは初めてのひとり暮らしというホームシックでした。

そのホームシックは、上京前に考えていた不安が小さなことと思えるほどで、将来に対する不安と変っていきました。

2度の上京で感じた東京暮らし(まとめ)

色々な理由で上京してくる人、上京したい人や、上京せざるを得ない事情がると思います。

私の場合は最初の上京は親の都合で「上京せざるを得ない事情」

2度目の上京は社会人として自ら望んだ「上京したい」という理由でした。

その2度の上京それぞれに不安はありましたし、想定できる範囲の不安以上の出来事に必ず遭遇もしてきました。

それらは時間の経過と同時に解消されていきましたし、誰でもいずれは解消されると思います。

その中で2度目の上京で思いも寄らないホームシックになった事は、上京前に考えていた不安を上回る将来の不安でした。